感情が動く時の考察 ~負の感情もとっても大事~

こんにちは!

インディゲームを制作するディベロッパー「Studio Itachi」のZiggyです。

今日は感情が動くときというのはどういうことか考えていきたいと思います。
実は今から書くのは私がゲーム制作で一番やりたいことでもありますが、誰一人として共感を得たことがない内容です。
自分もまだどうすべきか悩んでいるところでもありますので、完全な駄文になっていると思いますが、その点ご容赦ください。


また、ここに書いてある内容は、私の主観による考察内容なので、研究や根拠となるデータはありません。

■感情が動くとはどういうことか

感情が動くというのはある感情から別の感情に動くということですね。

よく、感動した!という言葉はいい意味だけで使われているので、感動することだけが感情を動かしたといえるわけではなく、悔しかったり悲しかったりしても、それは感情が動いたといえます。


では、感情とは何でしょうか。
喜怒哀楽とか言いますよね。それです。

デカルトとかダーウィンなんかも、感情を分類わけをしてくれていますが、色々調べていておもしろいなぁと思ったのが「プルチックの感情の輪」というものです。
ただ分類しただけではなく、関係性を図です。
ほんとは3次元の図形の展開図で書かれ、花びらみたいな形になるのですが、混合感情も一つの図に含めたかったのでオリジナルで作ってみました。
わかりにくいかー(汗
まず、中央の色付きの部分が一時感情。
黒い四角の白抜き文字が基本感情で、中央はより強く、外側は弱い感情。

外側の白黒の枠は混合感情といって、2種類の感情が同時に発生したときの感情です。

※各感情の説明はこちらが詳しいと思いましたのでご参照ください。


つまり、私が言う感情が動くということは、感情の話を結びつけると説明がつきそうです。

・弱い感情から強い感情へ大きく動いたとき
・別の感情から特定の感情へ大きく遷移したとき

この2つの心の動きがあった時に感情が動いた、といえるのだと思います。

■じゃあプラスの感情にもっていくようにゲームを作ればいいんだね!?

ゲームの要素の一部を切り取った時はそうだと思います。

ホラーゲームをやっても、敵を倒すから気持ちよくて、逃げ切るから安心するわけで、これはつまりプラスの感情を求めてゲームをプレイしているのだと思います。
しかし、気持ちよすぎてもダメだし、逃げ切れても面白くはなく、どこかで強烈な嫌悪感を思わせる描写を入れたりしますよね。だから、それを倒すと気持ちいいわけで。


ただ、ゲーム全体を通してユーザーに感じてほしい感情はそういう爽快感でしょうか。
さらに言うと、例えば最終的に憎悪の感情を抱かせたかったら、それを感じるためのゲームシステムが入っているかどうか、というとこです。

はい、自分で何言ってるかわかりません。

これ書いてて思ったのがSIRENが近い気がします。 
視界ジャックのシステムって攻略性が高くて楽しいし、自分が見えるからドキドキ感すごいありますけど、それとは別に死人の生活感も感じられて同情してくるというか、ゲーム性以外の部分の感情を抱くことができます。


つまり、この感情を動かすという点で話したいのはゲーム全体の印象です。
ワンシーンの話、ひとつのステージの話ではなく、ゲーム全体を通して最終的にこういう感情にもっていくという軸が必要という話です。


ちなみに、世の中にはマイナスの感情を良しとする作品もあります。


私がここまでマイナスの感情を植え付けつつ最後まで見さえるのってすごすぎと強く感銘を受けたのが、学生の頃に観た超名作映画「時計じかけのオレンジ」です。

半端じゃない怒りの感情が湧いてきて、後半ずーっとイライラしっぱなしでした。
でも最後まで見てしまう。

見終わってからしばらくして、これが名作たる所以か!?と感激しました。
こんなに人の心揺さぶれるって凄くないですか?
しかも、感涙するときにありがちな、見る人の経験に重ねて感情移入するとか同情とかじゃなく、純粋にシナリオで心を揺さぶり、映像で釘付けにするというキューブリックの技術に震え上がりました。


子供のころにおもちゃを買ってもらえなくて泣きますが、これは単に学習だと思うので、心が動いたとは違うと思います。
ただ、子供のころ楽しみにしていたクリスマスプレゼント、サンタさんにいろいろお願いしたにもかかわらず、朝起きたら枕元に辞書が置いてあった時の絶望感はマイナスの感動だと思います。期待を大きく裏切られたというね。私は今でも覚えているし、この時親を恨んだ感情は忘れられませんw

こんなマイナス感情をいだくけどやめられないゲーム作れたらすごくないですか?

■まとめ

この記事は、読んでる方にどうこう言いたいのではなく、私が自分に言い聞かせている記事です。
このブログでは、私自身の頭を整理するために、たまにこういうとりとめもない記事書いていきます。


複数人いるプロジェクトでこんな話しだしたら、まず間違いなく意味が伝わらなくて破綻するでしょう。
個人製作なのでこの辺しっかり取り組んでいきたいですね!


ちなみに、もちろんシナリオや映像で揺さぶることはできますが、それって映画やアニメと同じですよね。
再度言いますが、ここで言っているのは物語に緩急をつけようとか、ひとつのダンジョンの中での感情曲線を考えようとかそういう細かい要素のことではないのです。
ゲームの面白さを考える軸として、ゲーム性の高さや物語性や見た目だけじゃなく、それを全部ひっくるめた感情が動いたかどうかという軸もあるよねということを言いたいわけです。

■余談

ちなみに…

私が思い描いている理想のゲーム体験が、時計じかけのオレンジをみた青年Ziggyの感動を体験できるゲームだったりします。
別に怒りじゃなくていいんです。
映像だけで感じた強烈な心の動きを、ゲームでもやりたい。
てか、ゲームのほうが感情移入しやすいんだからもっと強い感動ができるはず。
あれから十年以上たちましたが、いまだによくわからず、自分の感覚をこうやって言語化しようとしている段階ですw
これから何十年かかるかもしれませんが、そんなゲームがコンスタントに作れるようなメソッドがつくれたらいいなぁと思ってます。

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